ac_nanakoの日記

とある若者の読書日記です。

エゴ

こんばんは。台風ですね・・・。卒論が忙しいのと、毒親育ちとしてアカウントを作ってから、解毒行為としてつぶやいていたら、心が押しつぶされてました。なの子です。

 

読書の感想ではないけど、書かせてください。

 

 

私は、子供を生むこと自体が人間のエゴだと思うんです。一人や二人産んで惜しみなく愛情とお金をかけるのも、貧乏子沢山で公立高校進学すら厳しいのも。所詮エゴ。

 

子供は、親を選べません。親が勝手に作って勝手に産んで、勝手に名前つけます。

一人の人間の人生を、親が左右するのです。

 

うちの親は「とにかく子供は子供なんだから、親の言うことに従うもの」だと思っています。それが発覚したのは、私の中学時代の友人(以下、Aちゃんとします。)が、19歳で未婚の母になった時。

母と私でその子の話をしていて、母はこう言いました。「Aちゃんは実家で育てるみたいね。Aちゃんママは、自分の子供であるAちゃんは思い通りに育たなかったけど、A

ちゃんの子供こそ、Aちゃんママの思い通りに育つといいね」と。

(Aちゃんママ=Aちゃんの子供にとっての祖母)

 

 

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今、あなた何言いました?え?「Aちゃんママは、自分の子供であるAちゃんは思い通りに育たなかったけど、Aちゃんの子供こそ、Aちゃんママの思い通りに育つといいね」

 

その時、私はこう思いました。

はい?? え?子供って、親の思い通りに育つもんなんですか?そうじゃないとダメなんですか? 第一、あなた自身が親の思い通りに育ってませんよねお母さん?

あなたの娘である私も、あなたの思い通りにはなってませんよね?

しかも、21歳の娘と19歳の娘二人も育てて、そう言うんですか。二人とも、思い通りにはなってませんけどね。 

 

この時まで気づかなかったのです。母に反抗すると言うか口答えしたり、これは違うよね?と反対意見を言うと烈火のごとく母が怒る理由は、母は「自分の子供は親の思い通りに言うことを聞くもの」と思っていたからであると言うことに。

 

母の幼少期、祖父は、祖母のことを殴るわ蹴るわ、髪を引っ張ってひきづるわ 

自分が気に入らなければ容赦無く暴力をふるいました。母は実際に兄(私にとっての伯父)が叩かれたりしているところも見たようです。

まさにこんな感じ。 

母方の祖父は刺身を食べるときに醤油差しが食卓にないだけで、一緒に食卓につく人を怒鳴りつけ殴る人だった。 とにかく。 そんな父親に、母はビクビクして生活していたんだ。 叩かれないようになんでも素早くやっていた。反抗なんて以ての外。 だからこそ私が許せないんだろうな。

 

(私のツイートです)

母は「おじいちゃんに叩かれないように、怒られないようになんでもきっちりやってきた。素早く静かにこなす。口答えや間違いの指摘なんてもってのほか。」と祖父の話になると毎回いいます。

反抗なんて、許されなかったのでしょう。 母の反抗期はなかった。母の兄弟はみんな反抗期がなかったようです。

でも、私は反抗しました。妹も、反抗します。 母は許せないんでしょうね。

自分は反抗できなかったから。親の言う通りに、自分はしてきたから。

 

私が何か言おうものなら、子供の頃はビンタされまくりでした。 いつの日か、私は何をするにも、母に怒られないか、気にするようになっていました。自分は、何もできないんだ。と思ってました。高校二年生の時まで。 

まさに、祖父から母親が受け継いだ、負の連鎖ですね。もちろん私は、「親と子供は別人格だからね、思い通りに育ってる人っていないよ。この世に思考と言動が全く同じ人って、誰一人いないから。みんな違うの。親子であっても。」と言いましたよ。

でもいまだに納得してないようです。納得できないのは、母のなかにトラウマがあるからでしょうね。

 

ともかく、私は両親と距離を保つことでしか、平穏な生活はできません。仕事も、学業も、友人関係も支障が出ます。 

生きるために、稼ぎます。生きるために、卒論書きます。

 

最後に、この言葉で締めます。

「理解も納得もするわけなくて それを言葉にもできなくて だましだまし歩いてはいるけど 汽車は僕の頭上空高く走っていく どこへいくのかな

理解も納得もしなくていいや わかったフリなんて僕はしない 汽車はどこかで汽笛を鳴らして  僕らがふと頭上空高く見上げた未来

誓いの歌が聞こえる」(Galileo Galilei 「僕から君へ」の歌詞より)

 

毒親への理解も、この親の元に生まれた理不尽も、納得行きません。でも私が必ず自分の未来を勝ち取ります。

 

長くて稚拙な文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。